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東京地方裁判所 平成9年(ワ)664号 判決 2000年11月07日

原告

寺﨑久子

ほか二名

被告

小林正勝

ほか二名

(補助参加人日動火災海上保険株式会社)

主文

一  被告小林正勝及び被告宮本和夫は、連帯して、原告寺﨑久子に対し三二五七万三三六六円、原告寺﨑瑠美及び原告寺﨑玲美に対し各一六二八万六六八三円、並びにこれらに対する平成五年一二月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告日本火災海上保険株式会社は、原告らの被告小林正勝に対する判決が確定したときは、原告寺﨑久子に対し三二五七万三三六六円、原告寺﨑瑠美及び原告寺﨑玲美に対し各一六二八万六六八三円、並びにこれらに対する平成五年一二月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とし、補助参加費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を補助参加人の負担とする。

五  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告小林正勝及び被告宮本和夫は、連帯して、原告寺﨑久子に対し五四〇三万一四四六円、原告寺﨑瑠美に対し二七〇一万五七二三円、原告寺﨑玲美に対し二七〇一万五七二三円及びこれらに対する平成五年一二月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告日本火災海上保険株式会社は、原告らの被告小林正勝に対する判決が確定したときは、原告寺﨑久子に対し五四〇三万一四四六円、原告寺﨑瑠美に対し二七〇一万五七二三円、原告寺﨑玲美に対し二七〇一万五七二三円及びこれらに対する平成五年一二月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、以下に述べる交通事故につき、原告らが、訴外亡寺﨑薫(以下、「亡薫」という。)の損害賠償請求権を相続したとして、被告宮本和夫(以下、「被告宮本」という。)に対しては民法七〇九条に基づき、また、被告小林正勝(以下、「被告小林」という。)に対しては自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という)三条に基づき、被告日本火災海上保険株式会社(以下、「被告日本火災」という。)に対しては、後記のとおり、被告宮本及び同小林に対する金銭給付判決が確定しても同被告らにはこれを一時に支払う資力がないから民法四二三条に基き、被告小林に代位して、損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実及び証拠上明白な事実

1  交通事故(以下、「本件事故」という。)の発生

(一) 日時 平成五年一二月一七日午前五時三五分ころ

(二) 場所 茨城県竜ヶ崎市馴柴町七四八先交差点内

(三) 加害者 大型貨物自動車(土浦一一さ四七五六、以下、「宮本車両」という。)を運転していた被告宮本

(四) 被害者 普通貨物自動車(土浦一一ひ五七六六、以下、「寺﨑車両」という。)を運転していた亡薫

(五) 態様 宮本車両と寺﨑車両が交差点内で衝突した点は当事者間に争いがないが、両者の信号の表示については争いがある。

(六) 結果 亡薫は、本件事故により意識不明の重体に陥り、平成七年三月一八日、全身打撲、脳挫傷等の原因により死亡した。

2  相続

原告寺﨑久子は亡薫の妻であり、原告寺﨑瑠美及び同寺﨑玲美は亡薫の子供である。原告らは、亡薫の生前の権利義務関係をそれぞれの法定相続分に応じて承継した。

二  争点

本件の最大の争点は、被告らが民法七〇九条または自賠法三条による責任を負うか否かであるが、被告らは、他にも消滅時効が完成しているとしてこれを援用すると主張している。原告は消滅時効の完成を否認している。

最大の争点についての当事者の主張を簡潔に示す。

1  原告

(一) 被告宮本は、本件事故現場で信号を確認せず、自己の進行方向の信号が赤であるにもかかわらず交差点に進入したもので、折から青信号で交差点に進入した寺﨑車両に衝突したもので、民法七〇九条により亡薫の被った損害を賠償する責任がある。

(二) 被告小林は、宮本車両を保有していたから自賠法三条の運行供用者として本件事故による人的損害を賠償すべき義務がある。

(三) 被告日本火災は、宮本車両の保険者として、被告小林の負った損害賠償債務につき補填する責任があるが、被告宮本及び同小林は、本件につき金銭の給付を命じる判決が確定しても、これを一時に支払う資力がないから、原告らは、被告小林に対する損害賠償債権を被保全債権として、民法四二三条に基き被告日本火災に対する保険金請求権を被告小林に代位して行使する。

2  被告ら及び補助参加人

(一) 本件事故は、もっぱら亡薫が対面信号の赤色表示を無視して本件交差点に進入し、折から青色信号で交差点に進入した宮本車両と衝突したもので、被告宮本には何ら過失はない。

(二) 被告小林が宮本車両につき運行供用者性があることは認める。しかし、被告宮本に過失はなく、被告小林自身にも過失はなく、亡薫の一方的な過失により本件事故は惹起されたもので、宮本車両には構造上の欠陥または機能の障害はなかったから、被告小林は自賠法三条ただし書により免責される。

(三) 被告日本火災は、被告小林に本件についての責任がない以上、保険金の支払義務を負わない。

(四) なお、被告らは、仮定的主張として次のとおり過失相殺の主張をしている。仮に信号表示以外の点から被告宮本に何らかの過失が認められるとしても、本件事故の主要因は亡薫の信号無視にあるから大幅な過失相殺が認められるべきである。さらに、仮定的に信号表示につき亡薫側が青で被告宮本側が赤だということになっても、寺﨑車両側からの宮本車両側の見通し状況からみて過失相殺がなされるべきである。

第三当裁判所の判断

一  被告らが、民法七〇九条または自賠法三条による責任を負うか否かを検討する。本件現場は、別紙図面のとおりの信号機による交通整理の行われている交差点であるが、寺﨑車両は県道竜ヶ崎潮来線を江戸崎方面から国道六号線方面に向けてほぼ西進して本件交差点に進入したこと、宮本車両は県道千葉竜ヶ崎線を利根町方面から牛久方面にほぼ北進して本件交差点に進入し、右交差点内で両車両が衝突したことは当事者間に争いがない。

本件のような、信号機による交通整理の行われている交差点における、直進車両同士の出合頭の衝突事故においては、双方の信号表示がどうであったかが決定的に重要である。なぜならば、車両の運転者は、特別の事情がない限り、信号を無視して交差点に進入してくる車両があり得ることまで予想して、交差点の手前で停止できるように減速したり、左右の安全を確認したりする注意義務を負うことはないからである。

二  そこで、両車両の従うべき信号の表示がどうであったかに関する証拠を検討する。

1  宮本車両側が青で、寺﨑車両側が赤であるとする証拠

(一) 石津供述(第一〇回口頭弁論)

証人石津幸雄(以下、「石津証人」という。)は、本件事故当時寺﨑車両と同じ方向に進行していた車両の運転手であり、信号待ちをしているときに本件事故を目撃したと供述している者である。

その供述の要旨は次のとおりである。

当日は、自分のダンプカー(以下、一般にダンプカーを「ダンプ」と略記する。)に砂を積んで埼玉県の方に向かう途中、本件事故現場にさしかかり赤信号のために停止した。当時石津車両を先頭に数台(大型は四台位)の車両が止まっていたが、後方の「大野のSGS」という暗号を持つ無線仲間から「四トン車が行ったぞ」というような連絡を受けてバックミラーを見ると、四トン車が後方から進行してきて、しかも石津車両等が信号待ちしている車線の右側の右折車線を走行してきた。四トン車は赤信号であるにもかかわらず停止する様子がなかったので、利根町方面から交差点に近づきつつあったダンプに向けてクラクションを鳴らした。しかし、四トン車もダンプもブレーキをかけた様子も、ハンドルを切った様子もなく交差点内で衝突し、その衝撃で四トン車は右側を下にして横転し、乗員は車外に飛び出し、ダンプは右側の車輪が地面から離れる形で走行して歩道に乗り上げ最終的には交差点北西側の水田まで到達した。

石津証人は、右事故後自分の側の信号が青になったので進行し、途中のコンビニエンスストアーにある公衆電話から一一〇番通報し、事故の場所、事故車両の種類、乗っていた人間が外に飛び出したことを伝え、自己の連絡先も教えた。

その後、警察から連絡があり、その日のうちに実況見分に立ち会い、後日警察で事情聴取を受けて調書も作成した。

石津証人にとって、本件事故の当事者である亡薫及び被告宮本は、いずれもそれまで知らない人であった。

(二) 根本供述(第一二回口頭弁論)

証人根本孝雄(以下「根本証人」という。)は、本件事故当時宮本車両と同方向に宮本車両の後方を走行していた車両(以下「根本車両」という。)の運転手であり、本件衝突直後から事故車両の様子を目撃し、かつ、その場に停止して被告宮本に救急車を呼ぶように助言したと供述している者である。

その供述の要旨は次のとおりである。

本件交差点に差し掛かる前に宮本車両が根本車両を追い越した。根本車両は、宮本車両の後に本件交差点に向かって進行していたが、前方の本件交差点の信号が青であることを確認したのとほぼ同時に、交差点内で衝突直後の寺﨑車両及び宮本車両がともにさらに走行していくのを目撃した。事故車両がブレーキをかけたか、ハンドルを切ったかは分からないが、本件交差点の江戸崎方面には乗用車のような車両が停止していた。事故車両(両車両を示す)が、あったので交差点手前で停止し、信号が青になってから進行して事故車両のさらに牛久寄りに根本車両を停止させた際、宮本被告から「どうしようか」などと相談を受けたので、救急車を呼ぶように助言をしたところ、宮本被告は携帯電話で連絡を取っていたようであった。根本証人は、寺﨑車両の運転者を捜したが確認できなかった。

根本証人は、本件事故当時小林被告のことは知っているが、宮本被告及び亡薫とは面識はない。(ただし、宮本車両は知っていると述べている。)

(三) 宮本供述(第一一回口頭弁論)

被告宮本自身の本件事故についての説明である。

その要旨は以下のとおりである。

利根町方面から牛久方面に向かって進行して本件交差点に差し掛かったところ、本件交差点の右側(江戸崎町方向)にダンプかトラックのような車両が二、三台停止していたのは確認できた。自己の進行方向の信号は青であるが、交差点に進入するちょっと手前で歩行者用信号機(どこの信号であるかについては供述に著しい変遷があるが、自己と対向方向の信号を意味しているようである。)が青の点滅であったことはわかった。

寺﨑車両を発見したのは衝突の瞬間であり、なぜ、発見できなかったかというと、自己の運転する車両と寺﨑車両の間にトラックとかダンプが停止していて、寺﨑車両はそれらの陰になっていたからである。事故の際にクラクションの音は聞いていない。

自己の車両は時速約五〇キロメートルで走行しており、衝突前にブレーキはかけていないし、ハンドルを切る間もなかった。寺﨑車両の衝突時の速度は分からないが、ライトはついておらず、交差点に停車していたトラック等もライトはついていなかったように思う。

寺﨑車両と宮本車両は、寺﨑車両の左前部と宮本車両の右前部が衝突し、宮本車両は左斜めに進行して歩道を越えて前の部分が田んぼに落ち、寺﨑車両は宮本車両の右後方に停止した。

宮本被告は、衝突の衝撃で運転席側のドアが開いて車外に放り出されたが、気を失うこともなく自己の車両内にあった携帯電話を使って一一〇番と一一九番通報した。知人の根本証人が寺﨑車両の運転手を捜しに行ったが見つからないでいるうちに救急車が来て病院に搬送された。宮本被告が救急車に乗せられる前に警察官は現場には来ていなかった。根本証人は、自己の車両の後方から車両を運転してきたようだが、衝突前に根本車両をバックミラー等で確認はできなかった。

根本証人氏は、同じダンプの運転手として無線で話すことがあるという程度の知人であり、プライベートな付き合いはない。

2  宮本車両側が赤であり、寺﨑車両側が青であったとする証拠

佐藤供述(第一六回口頭弁論、甲第三号証、第六号証)

佐藤栄一(以下、「佐藤証人」という。)は、本件事故当時県道千葉竜ヶ崎線を牛久方面から利根町方面に南進し、本件交差点北側で信号待ちをしていた乗用車(黒色のキャデラック)の運転手である。

佐藤供述の要旨は以下のとおりである。

本件交差点北側で赤信号のため徐行して停止したところ、前方対向車線をデコレーショシの多いダンプが、時速七、八〇キロメートルで走行してきて、赤信号なのに停止する気配もなく交差点に進入し、折から交差道路を江戸崎町方面から国道六号線方面に向けて走行してきたトラックが衝突直前にハンドルを右に切ったようであったが結局両車両は衝突し、ダンプの前部がトラックの助手席側のドアーに刺さったような感じで、本件交差点の北側に引きずって行った。

佐藤証人は、衝突後数秒後位で自分の対面信号が青に変わったので、そのまま直進進行した。

当時本件交差点付近で停車していた車両は、佐藤車両のほか佐藤車両の右側に白色の乗用車がいたのみで、県道竜ヶ崎潮来線上に停車車両はなかった。

先を急いでいたこともあり、また本件事故がダンプの信号無視による事故であることは明らかであったので何の問題もないと考え、そのまま進行し警察等にも連絡はしていない。

その後平成七年の二月ころ、牛久に住む知人からチラシを見せられ、原告らの所に電話をして事情を話し、原告の知るところとなった。

佐藤証人は、たまたま本件事故当時本件交差点を通過したに過ぎず、亡薫、原告ら、及び被告らとはそれまでまったく付き合いのない人間である。

三  右に見たとおり石津供述、根本供述及び宮本供述と佐藤供述では、本件事故発生時の信号表示が全く正反対の結論となる。とりわけ、石津供述と佐藤供述は、本件交差点で信号待ちしている際に、まさに目前で本件事故の発生を認識したというものであり、一般的には目撃供述として高い証拠価値を有するはずのものであるが、本件の場合、右両供述が全く相容れない内容となっている。

そこで、当裁判所としては、両目撃供述の比較検討を中心に争点についての判断渦程を示すこととする。

1  供述内容と客観的証拠との整合性

(一) 両車両の衝突の部位

石津供述では、宮本車両の側面に寺﨑車両が衝突したものと説明している(二六頁、二九頁。頁数は、石津証人の証人調書のページ数を示す。以下、他の場合も、当該証人調書のページ数を示す。)が、実際には、寺﨑車両の助手席側ドア付近に宮本車両前部が衝突したものと認められる(乙第一号証によれば、寺﨑車両は左側のドアー、あおりが損傷しており、宮本車両はフロントガラス、フロントパネル等フロント部分が損傷している。さらに、寺﨑車両については甲第二〇号証が損傷の状況をよく示している。)

これに対し、佐藤証人の説明は非常に現実的である。すなわち、佐藤証人は、前記のとおり、寺﨑車両の助手席ドアーに宮本車両の前部バンパーが刺さったような感じで押していった(五四、五五頁)と表現しており、両車両の衝突部位について極めて明快に説明している上、押していったという表現も、両車両ともに宮本車両の進行方向に近い方向に衝突後も走行していることから見て、的を得た表現であると評価できる。

(二) 衝突後の両車両の動き等

石津供述では、衝突によって寺﨑車両は横転したものと説明しているが、乙第一号証を子細に検討しても、寺﨑車両が横転した事実は認めがたい。寺﨑車両の最終停止位置(乙第一号証)から見ても、寺﨑車両は横転することなく、宮本車両に押されて進行したものと考えられる。この点は、現実に目撃した者であれば容易に間違うはずのない事柄であり、石津供述の信用性に重大な疑問を投げかけるものと評価すべきである。

また、石津証人は、寺﨑車両が衝突すると同時に横転し、運転手である亡薫が飛び出したと説明している(二六頁)が、亡薫が衝突直後横転した寺﨑車両から飛び出したとしたら、車両とは違った地点に身体が投げ出されるのが普通であると考えられるのに、実際には、寺﨑車両の下から亡薫の身体が発見された(宮本供述)ということであり、この点も問題とされてもやむを得ないであろう。

佐藤供述は、これらの点でも矛盾がない。

(三) 車両の積載物

石津供述では、双方の車両が空車であったとしているが、寺﨑車両は積載物があり、しかも、衝突の衝撃で角形鋼材が道路上に散乱したものと推認される(乙第一号証)のであるから、石津証人がこれらについて説明していないのは極めて不自然である。

佐藤供述では、パイプのようなものが散ったかもしれないと触れられている(五六頁)。

2  供述内容と他の供述との整合性

この点は、比較検討の仕方に注意を要する。すなわち、佐藤供述は、その他の関係者の供述とは根本的に違う内容であるから、佐藤供述と他の者の供述との整合性を論じることにあまり意味はないのに対し、むしろ、同一方向の内容である石津、宮本及び根本証人の各供述の中で内容的な同一性が保たれているかは、信用性の検討の上で有意義である。なぜなら、同一方向の内容の供述は、基本的には内容が一致するのが通例だからである。

(一) クラクションの有無

石津供述では、宮本車両に向けてクラクションを鳴らしたと一貫しているが、宮本及び根本証人においては、これを全く認識していない。しかも、関係者の皆が、本件交差点で事故時にクラクションが鳴らされていれば、当然聞こえると説明している。

(二) 石津車両の存在

この点は、宮本供述とはほぼ内容的に一致すると思われるが、事故直後の状態を目撃したと理解できる根本証人によっても、石津車両が確認されていない。

石津供述によれば、本件交差点には、事故時において石津車両を含む大型車両が数台は停止していたことになるのに、根本証人は乗用車のような車両が停止していたとしており、内容が合致していない。

3  供述内容の自然さ

この点の検討は、供述内容が経験則に照らし合理的か否かを判断するものであるから、信用性判断においては補助的な地位を占めるものである。

石津供述によれば、亡薫は、信号待ちしている車両が数台以上、しかも大型車両が数台あるにもかかわらず、あえて右折車線に入って走行し、信号無視を承知で交差点に進入したということになる。しかも、石津証人は事故前にクラクションを鳴らしたというのであるから、亡薫もこれが聞こえないはずはなく、それでもなおかつ速度を減じることもなかったというのであるから、よほど意識的に急ぐなどの事情がなければ、そのような亡薫の走行方法は経験則上考えにくい。しかも、本件交差点は亡薫の自宅から約二・五キロメートルしか離れておらず、当日自宅から出発した亡薫(原告久子が知る限り本件事故まで無事故・無違反であった。)は、おそらく五分以内で本件交差点に到着していたであろう(原告久子)から、そのような無謀な運転をする必要があったかは非常に疑問である。

これに対し、佐藤供述によれば、宮本被告は、単に信号を見落としたか無視したかであり、それ以上の意識的な無謀な走行方法は取っておらず、しかも、事故前に事故を予測してクラクションを鳴らす等の危険を回避するための措置を執った者はいないのであるから、それまでの走行方法のまま本件交差点に進入してしまったということが想定され易く、このような宮本被告の走行方法は現実にありうるものと評価できる。

4  供述経過

この点は、一見すると、明らかに石津供述の方が信用性が高いと認められることになろう。

すなわち、甲第一一号証からも明らかなように、石津証人は、本件事故後に自ら警察に事故を申告し、警察の求めに応じて、その日の内に警察の実況見分に立ち会っている(乙第二号証)。このような状況は、石津証人の真摯性を裏付けることになり、一般的には供述の信用性を高めるものと評価される。

これに対し、佐藤証人は、事故を目撃したといっても当日警察に連絡を取る等している訳ではなく、知人から原告側が頒布したチラシを見て、事故から一年以上経ってから目撃者として名乗りを上げたのであり、その期間に何らかの作為を疑うこともあながち不当ではないかもしれない。

しかしながら、石津証人は、自ら認めるように、本件事故後これを警察に通報するまでにも自己の車両内の無線でダンプやトラックの運転手仲間と本件事故のことを話していた(石津供述)というのであるから、仮に自ら本件事故を直接に目撃しなくても、事後に本件事故現場を通過したり、無線で情報を得たりすれば、本件事故を警察に申告することは可能であろう。

また、佐藤証人も、本件事故の真相を説明するためにわざわざ原告側に連絡を入れたり、法廷にも一度ならず出廷しており、佐藤証人が原告らと何らの利害関係のない人であることを考慮すると、一概に一年以上経ってからの証言であることのみから、その信用性を不当に低く評価することがあってはならない。

5  根本供述について

まず、根本証人は、本件事故の発生、すなわち、寺﨑車両と宮本車両の衝突したところを直接的に目撃している訳ではなく、その意味では石津供述や佐藤供述のような決定的な証拠ではあり得ない。

また、信号の点も、概ね宮本車両側が青であったとの内容であるが、他面において、衝突直後の両車両を目撃した段階での対面信号は何色だったかはよく分からない(三九頁)とも答えている。

さらに、警察の実況見分の際には、原告が主張するように、信号機が見えない地点で信号の色を確認したと推測で説明したりしており、一般的な信用性に問題がある上、根本証人は、被告小林とは知り合いであり、必ずしも中立的な証人とも言い難い。

根本証人は、事故直後の両車両を目撃したと言いながら、石津車両及び石津車両の後続の車両を目撃していない(乗用車がいたとはしているが、石津車両のような貨物車両の存在を肯定していない)のは、石津供述とも矛盾する。

以上、根本供述だけから宮本車両側の信号が青だったと認定することは到底出来ないし、石津供述を補強する証拠と位置づけることも相当ではない。

6  宮本供述について

宮本被告は、言うまでもなく本件訴訟の結論に利害関係を有する当事者であり、一般的には第三者証人よりもその供述の信用性は低いものと考えられる上、内容的にも以下のような疑問点がある。

第一に、宮本供述によれば、寺﨑車両のみならず、本件交差点に東側で停止していた大型貨物車もライトを点けていなかったことになる(六二頁、七二頁)が、自らはライトを点けなければ走行できないような明るさであったと説明していることからみて、著しく不自然である。

第二に、信号表示に関して、事故前に歩行者用の信号が点滅したと説明しているが、それが具体的にどこの歩行者用の信号なのかにつき一貫した説明ができず、供述内容が何度も変更されていることは、実際に歩行者用の信号の点滅を覚えているのかどうか、また、見たという歩行者用の信号が、実際は宮本車両の進行方向用のものではなく、寺﨑車両の進行方向用のものではなかったのかという疑問すら生じさせるものである。

第三に、宮本は、寺﨑車両をほとんど衝突直前になって発見しているが、いかに、石津車両等があって寺﨑車両を発見できなかったとは言え、本件交差点は大きく、乙第二号証(石津立会の実況見分調書)によれば、交差点東側の停止線から衝突地点まで二六メートル以上あるから、石津車両の陰から交差点に進入してからもずっと寺﨑車両を発見できなかったというのは、むしろ、宮本の前方不注視を基礎付ける一事情と考えられる。

さらに、宮本供述によれば、石津車両らしき車両の存在を肯定できるが、他面、石津証人が宮本車両に向けて鳴らしたクラクションを聞いていないという点や、寺﨑車両や石津車両等のライトが点いていなかったと言う点では、石津供述とも矛盾してしまう。

7  佐藤供述について

前述のとおり、佐藤供述は、石津供述に比較すると、その供述が得られるようになった過程において時間が相当経過しているという点が指摘できるものの、右の経過のみから信用性を否定できるものではなく、むしろ、供述内容としては、前記のとおり、客観的な証拠と合致している点で、石津供述よりも信用性が高いものと評価すべきである。

たしかに、被告らが指摘するように、佐藤供述によれば、衝突があって両車両の衝突後の経路を目で追った後、対面信号が青となって発進するまで三―四秒しか経過していないことになり、甲第一九号証(信号サイクル表)によれば、宮本車両側の信号が赤であるとしても、寺﨑車両側の信号も赤又は黄色であることになる。しかし、この点は、佐藤証人も時間については正確ではないと自ら認めており、その時間が一秒程度かもしれないし七秒あったのかどうか分からないとしている(六五頁、六六頁)。なお、この点は後にさらに検討する。

8  総合的検討

以上のような検討を経て、当裁判所は次のように判断する。

まず、信号表示につき、宮本車両側が青で寺﨑車両側が赤であるとする証拠のうち、石津供述は、客観的な証拠との矛盾が大きく、真実本件事故を直接目撃したかどうか疑問であり信用できない。宮本供述は、一方当事者の供述であり、内容的にも疑問がある。根本供述は、内容的にみて証拠価値の高いものと評価できない。したがって、宮本車両側が青であったという事実は認定できない。

一方、宮本側が赤であったとする佐藤供述は、内容的には最も客観的な証拠と合致し、供述も一貫している。確かに、供述のなされるに至った経過には、信用性を担保する特段の状況は存しないが、逆に、右経過から佐藤供述の信用性を減殺するような事情を認めることもできない。

したがって、基本的に、客観的な証拠と佐藤供述を基本に本件事故態様を認定すべきである。

そこで、前述の7の問題点についてさらに検討することとする。

佐藤供述は、本件衝突後、両車両が自車両の右後方へ移動していくのを見ていたが、一、二秒(甲第三号証)、または、二、三秒(甲第六号証、第一六回口頭弁論)で信号が青になったので、直進進行したということで一貫している。佐藤証人自身時間については正確ではない可能性を認めているが、このように一貫して供述していること、さらには、佐藤証人が両車両を見ていたのは、自己の右後方に乗用車がいたのでその乗用車に視界が遮られるまでであって、両車両の最終停止位置は確認していないことに照らし、時間的にも数秒のことであったと考えられる。

車両にとっての信号表示は、原則として当該車両が交差点内に進入する直前の表示を基準に考えるべきであり、亡薫の場合、交差点に入る直前の状態から衝突地点に至るまでに乙第二号証添付の交通事故現場見取図(甲)によれば約二六メートル走行したことになるから、時速約五〇キロメートルで走行しても約二秒かかることになる。

甲第一九号証によれば、佐藤車両の対面信号が青になる前には、全赤が二秒、寺﨑車両の進行方向の黄色が三秒、赤で青矢印が五秒、黄色が三秒あるから、寺﨑車両が完全に青で本件交差点に進入するには、佐藤証人が衝突を目撃してから一一秒以上経過後に、佐藤証人の対面信号が青になることが必要であるが、佐藤供述からは、そのような事実を認定することはできない(七秒という数字を出しているが、これは最大でも七秒間という趣旨に理解できる。)。

したがって、亡薫は、青の状態で本件交差点で進入したと認めることはできないが、全赤の状態で交差点に進入したとも認められず、その間の黄色の状態(直進は赤で右折青矢印信号の可能性も否定できない。)で本件交差点に進入したものと認めるのが相当である。

9  過失相殺

以上の事実関係を前提にすれば、被告らが予備的に主張している過失相殺をするのが相当である。すなわち、亡薫においても、黄色信号(前述のとおり、赤色右折青矢印信号であった可能性も否定できない。)を無視して本件交差点に進入したという過失相殺事由があるので、本件につき三割の過失相殺をするのが相当である。

二  消滅時効等について

被告らは、本件について消滅時効の完成を主張し、本訴においてこれを援用している。

しかしながら、本件事故については、亡薫は事故直後から意識不明の重体で本件事故態様について述べることができなかったし、警察の捜査においても、乙第一号証で亡薫が被疑者で、宮本被告が被害者として扱われていることからも明らかなように、亡薫が一方的な加害者であるとされていた。

原告らにおいて、本件事故につき損害賠償を求めることできると考えたのは、平成七年一月ころに佐藤証人からの電話で本件事故の態様について聞いてからであり(甲第九号証)、民法七二四条の消滅時効は、右時点から進行すると考えるべきである。

したがって、本訴提起時(平成九年一月一七日)において、消滅時効は完成していないから、被告らの主張は採用できない。

なお、原告らの被告日本火災に対する請求も、弁論の全趣旨によれば、被告宮本及び同小林が、本件において以下に認定される賠償金を支払うべき資力があるとは認めがたいので、民法四二三条に基づき、これを後述の賠償金の限度で認めることができる。

三  損害額の算定

以下においては、各損害項目ごとに、冒頭に裁判所の認定額を記載し、括弧内に原告らの請求額を併記する。

1  逸失利益 五二一二万二四二〇円(六二〇一万八九八一円)

原告らは、平成四年度の亡薫の収入を基礎に、事故日から六七歳までの逸失利益を主張している。ただし、甲第一三号証(所得証明額四五五万四三五七円)との関係で見ると、甲第八号証で計上している専従者控除の八〇万円を加算しているものと思われる。

ところで、平成五年の所得証明(甲第一二号証)によれば、平成五年中の所得は三四二万七四七八円となっており、平成四年の所得証明と相当な差が認められ、本件事故が一二月中旬であることを考慮すると、原告ら主張のように前年の収入を基礎収入とすることは相当ではなく、原告久子本人の供述(収入は年間四〇〇万円をちょっと超えたくらい)及び専従者控除分をも考慮して、基礎収入を年収四五〇万円と認めるのが相当である。

そこで、亡薫の事故日からの逸失利益の現価を、生活費控除率三割と見て、年五分の割合によるライプニッツ係数を用いて中間利息を控除して求める。

四五〇万円×(一-〇・三)×一六・五四六八=五二一二万二四二〇円

なお、原告らは、逸失利益につき、特に休業損害と死亡による逸失利益を分けずに請求しているので、当裁判所も右のとおり認定する。

2  慰謝料 二七〇〇万円(二八〇〇万円)

亡薫は、本件事故により意識不明の重体に陥り、平成七年三月に死亡したもので、原告である妻や子供たち(昭和五九年生まれと同六二年生まれ)にとってまさに掛け替えのない一家の支柱であったことは明らかである。これらの精神的苦痛を慰謝するためには、二七〇〇万円をもって相当と認める。

3  医療費 二六一万九七〇〇円(原告らの請求どおり)

甲第九号証及び第一〇号証によってこれを認める(甲第一〇号証には、甲第九号証の末尾の五五六〇円が含まれていないものと考えられる。)。

4  入院付添費用 一三七万一〇〇〇円(二七四万二〇〇〇円)

原告久子は、本件事故当日から亡薫の死亡に至るまでの四五七日間、毎日意識不明の亡薫の付添をしていたものと認められるが、他面、時間的に長くはなかったものと考えられるから、一日当たり三〇〇〇円の付添費用が認めるのが相当である(甲第九号証)。

よって、一三七万一〇〇〇円を認めることができる。

5  入院雑費 一八万二二一二円(原告らの請求どおり)

亡薫の入院に必要な雑費として、原告らの請求どおりの金額を認めることができる(甲第九号証)。

6  葬儀関係費 一二〇万円(一五〇万円)

亡薫が死亡し、亡薫の葬儀等に費用を要することは公知の事実であり、本件事故と相当因果関係のある損害として一二〇万円を認めるのが相当である。

7  過失相殺

以上の小計は、八四四九万五三三二円となるが、前述のとおり、三割の過失相殺をするのが相当であるから、過失相殺後の損害額は、五九一四万六七三二円となる。

8  弁護士費用 六〇〇万円(金一一〇〇万円)

原告らが、本件訴訟の追行を原告ら代理人らに委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、本件事案の内容、認容額、審理経過等を総合勘案して、被告らに賠償を求めることができる弁護士費用としては六〇〇万円とするのが相当である。

9  合計

以上により、総賠償額は六五一四万六七三二円となる。

これを法定相続分で分けると、原告寺﨑久子が三二五七万三三六六円、原告寺﨑瑠美及び同寺﨑玲美が各一六二八万六六八三円となり、原告らが、それぞれ右金額及びこれらに対する遅延損害金を請求する限度で、本訴は理由がある。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 村山浩昭)

(別添) 現場見取図

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